札幌のふるさと

私が札幌ではじめて住んだ街、澄川は思い出深い
ところです。いわば札幌のふるさとみたいな。
18歳の都会での一人暮らしの始まりの街は
住宅地と公園が調和していてやさしい雰囲気で
ゆっくり私を都会馴れさせてくれました。
ディフェンダーの洗車を思い立ち、
いつもは九条通り円山の洗車場をめざすのですが、
澄川のかつて住んでいたアパートそばの洗車場が
ぴこーんと思い出され、ならばとめざしてみました。
19歳学生時分ではじめて手に入れたクルマ'73年式スバルR-2
赤いてんとう虫みたいなちっこいクルマをはじめて洗車したのは
この洗車場でした。まさかディフェンダーを洗うことに
なろうとは、そのころの私も想像してなかったでしょう。。
洗車してふきあげて周囲に目をやりますと、なんと
あのころの建物がまだアチコチに散見されるじゃないですか。
これは町内をぐるっと歩かねばとココロが動きました。

囲いができたり最新式の機械に入れ替わっていますが
洗車場は20ウン年以上まえと変わらず同じ場所にあります。
リヤエンジンのR-2に、何にもわからず勢いよく
エンジンフードに水をかけていましたら、デスビに
水が入ってエンジンがかからなくなりました。
あわてて近くのスタンドに駆け込んで
助けを求め、そこの店員さんはいともカンタンに
デスビキャップをあけて水をふき取ってエンジンをかけて事なきを得ました。
やさしい店員さんの素早い対応が映画のように見に浮かびます。
今はもうあのスタンドはありません。

ふきあげていますと、まだあったんだ!あのマンション!!


もう札幌遺産といってもいいぐらいの古さを誇る
外階段の建物は、私が近くに住み始めたときから
古かったんです。「マンション」の文字にも注目してください。
近所のよく通ったほか弁に勤めていた方が
ここに住まわれていて
子供と仲良く外階段をカコンカコンと下りてくるのを
よく見受けました。建物を眺めていると
またあの頃のようにカコンカコンと降りてくるかのように
錯覚してしまいます。

その弁当屋さんはなく、新聞販売店になっていました。

なんとなんと私が住んでいたアパートがまだ存在するのでした!
色変えされていますが当時の名前はそのまま。あの名前で
いいのかと思う昔ながらの名前のコーポです。
1階の奥が私の部屋。隣の趣のある庭が
まるで自分のもののように見渡せました。今から考えますと
お隣の方、塀を回して見えなくすることもできたでしょう。
するとこちらは日が入らなくなりますが。。。やさしいご近所さん
だったんですね。庭を見ながら音楽を聴くのが大好きな
毎日でした。

アパートむかいの塀のある家も健在。ここのおうちの
塀の横につけてよく駐車していました。
私が住んでいた頃は駐車禁止じゃなかったんです。
でも忘れられないことがひとつ。
豪雪に見舞われた元日未明にここのおじいさんから警察に
通報があって、拡声器でたたき起こされました。
警察の方いわく「特徴的な私のクルマが止まっているから
他の人も止めるんだと言われてね」とのことで
何もこんな日に通報しなくても。。雪まみれのクルマを掘り起こして
そのまま実家に帰省することにしました。

アパートから西のほうに少し歩くと澄川西小学校があり
そこを更に進むと小さい公園があります。「あじさい公園」
当時は名前など興味なく、ただときより誰もいない
今日みたいな日にひとりやってきて、ブランコにぼんやり乗ってみたり
ジャングルジムに登ったりしました。やわらかい日差しの印象の場所でした。

ちなみにディフェンダーが止まっているあたりで
友人に借りたバイクで派手に転んだことがあります。
私はピンピンしていたのですが、
エンジンオイルぶちまけてしまい、
それを近所のひとがタオルで拭いてくれたのでした。
今思い出しても申し訳なくなります。


遊具は当時と変わっていないように思います。
さびて少しヤレた感じがパリでみた小さな公園を思い出させます。
雰囲気ある公園よ、いつまでも。。


公園の先にあるのが細い小道
夜の私の散歩道でした。
少しロンゲのニューウェーブを意識したパーマヘアーで
原宿の古着市で購入した昭和初期の日本の黒いマント!という
いでたちで月明かりをたよりに細い小道をよなよな散歩するのが
日課でした。頭の中には芸術とはなんぞやとか
今後のデザインはコレ如何にとかを考えながら。。。
この道「精進川遊歩道」(今日はじめて
知りました。)を歩くといろいろデザインのアイデアが浮かんだりしまして、
勉強に役立つ感謝感謝の思いで深い哲学の道です。
それにしても月明かりに照らされ歩く不思議な風体な男は
とっても変でコワかったことでしょう。ハズカシイ思い出です。
幸いにも夜にすれ違ったり出合った人はいませんでしたけど。。